2026.03.24
中2生
教務
数学
檄文
都立新宿
◆自己流に走る子達
普段指導していると「全く言われた通りにやらず、すぐ自己流に走る子」がいます。例外なく勉強が苦手な子です。
新学期の段階ではっきり申し上げておくと、指導された通りにやらず、すぐ自己流に走る子は、そのままだと一生伸びません。これは断言できます。
指示を守らない時点で、成長のスタートラインに立てていません。
例えば、数学の例題を解説する際、特にミスが出やすい注意点はポイントを強調します。そして、それを防ぐためには「このようにやるといいよ」と塾オリジナルの解き方を指導します。
ところが・・・です。下の類題を解いている様子を確認すると、1問目から全く違う自己流のやり方で始める。先ほど黒板で説明し、色塗りまでさせたやり方を全く実践していない。
これは勉強が苦手なわけです。なぜなら、そういう子は素直に「真似る」という行為が出来ないからです。
◆学ぶとは
「学ぶ」の語源は「真似る」という説が有力です。
つまり、学習とはまず「真似ること」から始まるのです。先生や先人が示した型や思考のプロセスを素直にそのまま真似る。コピーする。これがスタートラインです。
それなのに、
- 少し聞いただけで自己流に変える
- やり方を守らない
- 勝手にアレンジする
自分勝手な解釈で進めるうちは、どれだけ時間をかけても、それは「練習」ではなく「自己満足」に過ぎません。
◆守破離(しゅはり)という教え
武道や茶道の世界には「守・破・離」という教えがあります。
これは千利休の教えに由来すると言われる「成長の三段階」です。
- 守:師匠の教えを忠実に守り、型を身につける(言われた通りに素直にやる)
- 破:型を破る(自分なりに工夫・改良する)
- 離:型から離れる(独自の境地を切り開く)
にもかかわらず、成績が伸びない子に限って、最初の「守」をすっ飛ばして「破」や「離」に向かおうとします。
ただの「ハッタリ」です。
↑ 本日の熱盛!
型も身についていないのにできている「つもり」になっているだけです。
◆「型破り」と「型なし」
歌舞伎の十八代目中村勘三郎さんが残した有名な言葉を紹介しておきます。
「型破りとは型を身に付けた人がやるから型破り。型のない人がやったら、それは形無し。」
最初から「型破り!」と自己流に走ると、それは本物の型破りではなく、ただの形なし(型のない未熟な状態)になってしまいます。
◆千利休の言葉
ところで、千利休という人は次のようなことも言っています。
「稽古とは 一より習い十を知り 十よりかえる もとのその一」
一(基本)から始めて十(すべて)を学び尽くし、また十から「もとのその一」に立ち返る。
どんなに高度な技術を身につけても、本質は常に最初のシンプルな「一」にあるという意味です。
自己流でガラッと変えても、結局は「元のその一」に戻ってくる。それが本物の成長だという教えです。
また、千利休は
「規矩(きく)作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本(もと)を忘るな」
という歌も残しています。
どれだけ崩しても、離れても、最終的に「本=基本」を忘れるな、ということです。
◆素直さがない人は伸びない
素直さ=「守る」姿勢がないと、守破離の「守」すら飛ばしてしまいます。
すると「破」や「離」もただの自己満足。結局、伸びないまま時間だけが過ぎていく。
逆に、最初は素直に真似て、守って、基礎を血肉にすれば、自然と「型破り」も「形なし」(無の境地)の域に到達できる。これが日本人が何百年も大切にしてきた学びの道です。
◆今日からできること
- 「まずは真似てみよう」と自分自身に声かけをしてみる。
- 「守」の段階を徹底的に究める
- 千利休の言葉を壁に貼ってみる
素直に「真似る」楽しさを味わった先に、本当の創造性と成長が待っています。
◆【実例】一気に伸びた子
中2Bクラスから「都立新宿高校」へ合格した「田無2中」のTくん(現在高校1年生)
入塾当初は勉強が大の苦手。当時の中2Bクラスに入塾しました。
しかし、徹底的に私の指示通りに勉強し、英語はテキストの全文を5文型に分類。他の教科も指示通りに勉強し、12月の模試では中3Aクラスでトップにまで上り詰めました。
能力でもセンスでもありません。
違いは、たった一つ。「素直さ」です。
まずは「真似る」。すべてはそこからです。