2026.03.30
中3Aクラス
国語
本日、中3Aクラスの国語の授業でした。そして、いきなり厳しいことを言います。
今日の授業で、皆さんの読解力は1ミリも上がっていません。
近代の話から入り、英語の法助動詞の話、反語の処理の仕方、「本文中から同意表現と理由表現を探し出す2つの方法」など知識面からのアプローチ方法を教え、その上で緻密に読解をしていきました。手応えを感じた生徒も多かったでしょう。
しかし、それで読解力が上がったかと言えば、そうではありません。
では、国語の授業は意味が無いのかといえば、決してそうではありません。
国語は人間が書いた文章なので、塾・予備校の先生がいくらルール化、公式化したところで、全ての著者、筆者、作者がその塾・予備校側のルール通りに文章を書いているわけではありません。もし仮に、「俺の授業で教えた通りにやればどんな文章も読める」「この参考書の通りにやれば国語は出来る」と、あまりに客観性を強調している先生や参考書があれば、それはおそらく詐欺です。
自分の方法論が通用する文章や設問だけを引っ張り出してきて、それに通用しないものは事前に削除しているか、あるいは「これは悪問」と言って問題作成者側の責めに帰しているだけでしょう。
しかし、初回の授業で話したように、絶対的な方法論はないのですが、よりベターな優れた読解法(但し受験国語という範囲内でのみ通用するもの)はあります。
授業ではその方法論をたくさん話しました。この2回で話した内容だけでも、参考書1冊に匹敵するくらいの情報量なのでよくまとめておいてください。
さて、本題はここからです。
冒頭で、「いきなり厳しいことを言います。今日の授業で、皆さんの読解力は1ミリも上がっていません」と元も子もないことを書きました。
これはどういうことかと言うと、難しい国語の文章を読み、それを解けるように授業で解説したとはいえ、その読解をしたのはあくまでも「石崎」だということです。
確かに、みなさんは本日の授業で「なるほど、そういう意味の文章か・・」「そうやって読めばいいのか・・・」と分かったと思いますが、それは自力で文章を読めたことを意味しません。あくまでも、その文章を読解した「石崎の解釈」を理解できただけであり、自分で文章を読めるようになったわけではないのです。
比喩的に言えば、プロ野球のヒーローインタビューで外国人選手が話し、それを通訳が日本語にしてくれる場面と同じです。私たちは内容を理解した気になりますが、理解したのは通訳の日本語であって、英語が分かるようになったわけではありません。
これと同様に、国語の授業の難しいところは、先生の話した内容を理解できたとしても、決して読解力が上がっているわけではないということです。
先ほど書いたように、私は「受験国語向けに優れた読解法」を紹介することは出来ます。しかし、私が出来るのはそこまでです。今日習った内容を、今度は自分自身で未知の文章で実践してみなければ意味がありません。
だからこそ、トレーニングが必要です。
そのトレーニングの量は多ければ多いほど良いです。方針のないまま闇雲に読み、あてどなく答えを探すのではなく、塾で教えた方法を使って丁寧に読解してみる。これが今後の課題です。
逆に言えば、ここをやらなければ、どれだけ授業を受けても変わりません。